夫に海外赴任の辞令が出たカップルも然り、国際結婚をしたカップルも然り、突如として妻が仕事を諦め、夫に付いて海外に行かざるを得ない局面がやってくることがある。
一見優雅に聞こえる海外での駐妻生活だが、蓋を開けてみればいかにしんどい茨の道か分かるだろう。
25歳にしてアメリカで駐在妻となった私
新卒入社後2年弱というスピードで寿退社をした私は、前の夫の留学・就職に付いて行く形で渡米した。
居住地はLA(ロサンゼルス)。
私が長い間憧れていた夢のような場所だ。
社会人経験も浅く人生経験の浅い私はLAという憧れの地での生活に舞い上がり、気づけばどんどんと沼にはまって疲弊し、堕落して行ったのである。
友達作りに費やした膨大な時間とエネルギー
私達が選んだ場所は日本人が多く暮らす地域から離れており、いわゆる「日本人会」やら「婦人会」といった煩わしいコミュニティーに巻き込まれることは免れた。
しかし逆にいえば周りに誰も日本人がおらず、知り合いも友達もゼロの状態からのスタートだった。
LAを一緒に楽しめる友達が欲しい…友達探しの日々
日本未上陸の最先端のスイーツショップやお洒落なカフェなど、魅力的なスポットが溢れるLA。
だが夫は仕事で忙しい。
私は平日に一緒に遊べる友達が欲しかった。
当時はTwitterもFacebookもまだ日本人の間では普及しておらず、海外での友達探しの手段といえば、語学学校や習い事に通うかコミュニティサイトで友達を募集するしかなかった。
初めは無料の語学学校(ESL)に通ってみたが、日本人は全くおらず、気が合いそうな友達も居なそうだったので行かなくなってしまった。
結局コミュニティサイトから日本人の友達を募るようになり、気の合いそうな人を見つけては会ってみる、というのを繰り返した。
中には初対面の私にいきなり夫との性生活の悩みを相談してくる40代の女性などもいたりした。
一言にLA駐在妻と言っても色々な人種がいることを知る。
そんな中でようやく普通に話せる人達に出会うことが出来た。
私よりも一回り年上の、36歳のお姉様二人組だった。
セレブ駐在妻達の「華麗なるダークな集まり」への仲間入り
このお姉様二人組はまだ子供はおらず、揃って長身で容姿端麗でお洒落、それぞれのご主人は事務所経営と大企業の御曹司と、見事にセレブな妻達だった。
そんなお姉様達は、一回りも年下の小娘の私と初めて会った時、
「やっとまともな子に会えた!」
と喜んだ。
彼女達は長らくLAで友達を探していたものの、「化粧しない」「服のセンスが悪い」「変人」などの理由で、会う人を次々と「不採用」にしていた。
そして次第にこの「お友達面接」自体が彼女達の趣味になり始め、「ヤバイ人」に会ってはその後の「反省会」で毒舌な悪口でこき下ろすのが最近の楽しみらしかった。
もしここで私が彼女達に不採用とされていたなら、私がその「反省会」とやらでこき下ろされていたのだろうと思うと少しゾッとした。
とはいえ一緒に出かけられる友達がようやく見つかり、嬉しかった。
「華麗なるセレブ駐在妻達の遊び」にのめり込む
彼女達に「採用」された私は、ほぼ毎日、話題のお店でのお茶会やディナーに誘ってもらえるようになった。
大酒飲みの彼女達は昼間からワインを煽るので、それをワリカンにされた時には予算を大きくオーバーして夫に頭を下げることもしばしばあった。
しかしLAで話題のスポットを知り尽くした彼女達に付いて回るのは楽しく、誘われれば喜んで出かけて行った。
会話の内容の大半は、浮気をしているお姉様の悩み相談や習い事で一緒の他のLAの駐在妻達の悪口だったが、私は会ったこともない人達だったので面白おかしく聞いていた。
しばしば夫達も呼んでディナーをしたりお互いの家で食事会を開催することもあり、夫同士も仲良くなった。
徐々に暴かれていく「華麗なるセレブ駐在妻」の実態
そんなある日、彼女達に誘われ日本人の駐在妻達が集う料理教室に私も行ってみることになった。
彼女達が「すっぴん」「服のセンス」「顔が鬼頭」など散々悪口を言っていたのがこの料理教室に通う駐在妻の皆さんだった。
そこまで酷い駐在妻達とは一体どんな変な人達なのだろうと興味半分で行ってみた私だったが、集まっていた人達は、いたって普通の日本人妻達だった。
確かに化粧っ気は無いしお洒落な洋服を着ていた訳ではなかったが、皆「良いお母さん」という感じだった。
そうして少し冷静になってみると、この普通の日本人の駐妻達を裏であそこまでメタクタにこき下ろしておきながら、教室の間は愛想良く振る舞うお姉様方が恐ろしくなってきてしまった。
料理教室の後は側にある高級ホテルのバーで「反省会」が開催され、また料理教室の生徒の悪口大会である。
「今日のアイツの服、ヤバくね?」
「あの喋り方イライラする。」
これまでは面白おかしく聞いていた私だったが、実際に生徒さん達を見てしまった後は段々とこの「反省会」のヤバさに気付き、居心地が悪くなって来たのだった。
バリバリキャリアを積む人や勉強に励む人すらネタに
ブラック茶会のネタのターゲットのされたのは料理教室の生徒さんだけではない。
ある日、このセレブ姉様達と友達になりたいと言って来た人がいるということで、その人を茶会に迎えることになった。
そこに現れたのはツバの広い優雅な帽子を被った30代の上品な女性だった。
彼女はとても真面目な人で、この茶会の後はUCLA Extentsion(カリフォルニア大学の学位無しの授業)の語学プログラムに通うのだと話し、茶会の途中で抜けて行った。
彼女は真面目であまり冗談が通じないタイプだった。
姉様達は、彼女を「仲間」ではなく「ネタ」と認識したらしく、彼女が帰った後は「クソ真面目過ぎ」「あの帽子ww」と言って笑っていた。
ちなみにこの女性は現在ではGAFAでシニアマネージャーとして活躍している。
また、私達が住んでいたのと同じアパートに、現地で弁護士資格を取得してバリバリ働く日本人女性が住んでいることが分かり、知り合うと同時に仲良くなった。
とても聡明な人で、当時アッパラピーだった私ではたまに話についていけないこともあった。
彼女も美しく、来ている服のブランドの趣味も合いそうだと思った私は、セレブ姉様方に彼女を紹介してみた。
すると、彼女の頭の良い話についていけない姉様達は完全に押し黙ってしまった。
彼女が帰った後で感想を聞いてみると、
「何言ってるんだかサッパリ分かんなかった」
「あの人KYじゃなかった?」
「あのタイプ無理ww」
とのことだったので、あまり合わなかったらしい。
狭い世界の低レベルな人間関係への疲弊
毎日の話のネタと言えば、どこそこに話題に店が出来たとか、これまで出会って来た人達の悪口、あるいは夫の悪口。
働いていたり、勉強している人達を「真面目過ぎw」と言って笑い者にする。
そんな会話に罪悪感を覚え始めた私は、段々と姉様達についていけなくなっていたことは確かだった。
しかしそれでも一年近く仲良くしてきた大事な友達であり、ここで切れてしまえばまた一人ぼっちになってしまう。
だが、姉様達はノリや相槌のキレが無くなってきた私といるのがつまらなくなってきたようだった。
彼女達は完全に私に興味を失ったようで、久しぶりに行った料理教室では徹底的に無視された。
その後の「反省会」の声がけももちろん無く、教室後の後片付けをする私を置いて去って行った。
いつも私達が一緒だったのを知っていた他の駐在妻達や先生は、心配して「何かあったの?」と聞いて来た。
とても惨めでその場から早く消え去ってしまいたかった。
何と脆く、くだらない人間関係だったのだろう。
そしてそんなくだらないものに私は膨大な時間とエネルギーを費やしていたのだ。
それに気づいたのは既に日本への帰国日が決まった頃だった。
駐在生活を送る上で大切なこと
こうして私は20代の、しかもアメリカで暮らした貴重な年月を「お友達作り」という虚しい作業に費やし、無駄に過ごしてしまった。
私達と連まずにUCLA Extentsionで学んでいた方や米国で弁護士としてのキャリアを突き進んでいた方がいた一方で、私は何と愚かな時間の使い方をしていたのだろう。
もう1度時を戻せるならば、その時の自分に言い聞かせたいことがある。
ライフワークを持つこと
友達よりもまず優先して見つけるべきは、現地での自分のライフワークである。
必ずしも収入が伴う必要は無い。ボランティアだっていい。
実は私もセレブ姉様達と出会う前にLAのとある日本人経営の会計事務所にインターンとして無給で雇用して欲しいと面接に行ったのだ。
私の在留期限が1年と短かったことから難色を示されてすぐに諦めてしまったが、もう少し食い下がってお願いすれば良かったと今でも後悔している。
無給でもいいからLAの会計事務所で経験を積むことができたなら、きっと今の私のキャリアもガラリと変わっていたに違いない。
ブラック茶会に明け暮れる日々と天秤にかけて茶会の誘惑に乗ってしまった私は本当に愚かだった。
視野を広く保ち続けること
専業主婦同士で集うと、日々の会話は自分達の周りの人間の噂話や子供の話など、狭い世界に限定されて言ってしまう。
しかし視野が狭くなっていくことで、いずれ夫との会話が無くなるリスクがある。
現在私は今の夫と、Uberは巻き返せるのかとか、イーロンマスクは何を考えているのかとか、仮想通貨を買うならどれが良いかなど、実に色々な話をする。
私が専業主婦だった頃はそんな話には全く興味も無かったし、住む世界が違う人の話だと思っていた。
しかし私が思う夫婦関係を良好に保つ秘訣は、時には恋人として、時には友人として、互いの仕事に関するアドバイスもし合える関係性を保つことだ。
こうした時事ニュースや知識は、社会の第一線から退くといつしか興味を失い、積極的に得ようとは思わなくなってしまうものである。
仕事を辞めて駐在妻となって海外へ赴くと、目の前の生活のことで手一杯となりなおさら」こうした情報からは遠のいてしまう。
だがそうしているうちにどんどん視野が狭くなって行ってしまうのだ。
視野を広く保ち続けることは、難しいがとても大切なことだと思っている。
自分の当面の生活資金の確保
これは異国の地に限らず、日本の結婚生活に置いても大切なことだと思うが、自分1人を当面生活させられるだけの資金があるのと無いのとでは、精神的な安定感が全然違う。
かなりドライな言い方になってしまうが、どんなに愛し合っているカップルだったとしても、「愛」には消えない保証もなければ、消えた時の補償も無い。
仕事を辞めて夫に丸腰で海外について行く身として
「いざとなったら当面は自分で自分を食べさせて行くことができる」
という状態が心のゆとりとなり精神安定をもたらしてくれる。
今はクラウドソーシングなど、リモートでも収入を得られる手段はいくらでもある時代なので、仕事を探すのも良いだろう。
まとめ
駐在妻は現地に友達がいなくて孤独感に苛まれているかもしれない。
あるいは駐妻コミュニティーに引き入れられ、妙なヒエラルキーの元に置かれるかもしれない。
しかし自分のライフワークを持ち、しっかりと視野を広く保ち続けることができれば、そういった煩わしい人間関係からも距離を保つことができるだろう。
駐在の間も刻一刻と自分は歳を重ねて行くのだ。
駐在の時間をどれだけ有意義に過ごすことができるかは、当人の心持ち次第だと思っている。