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駐在妻時代の失敗から学んだ、夫の海外赴任に付いて行く際に大切なこと

国際結婚

駐在妻時代の失敗から学んだ、夫の海外赴任に付いて行く際に大切なこと

国際結婚をしたカップルも然り、夫に海外赴任の辞令が出たカップルも然り、突如として妻が仕事を諦め、夫に付いて行かざるを得ない局面がやってくることがある。

夫は「収入面は全く心配要らないから、君は学校や習い事に通ったり、好きにしたらいいよ」と言ってくれているが、一見優雅に聞こえる「海外での専業主婦生活」が、いかに私を堕落させるかを知っている。

10年前に苦い経験をしているからだ。

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同じ轍は踏みたくない、駐在妻時代の黒歴史

今から10年前、新卒入社後2年弱というスピードで寿退社をした私は、前の夫の留学・就職に付いて行く形で渡米した。

1年で修士を取った元夫は、その後一年間、LA(ロサンゼルス)で働くことになった。

当初、LAに全く土地勘が無かった私達は、エリアについては特に何も考えずに、単純に物件だけを見て気に入ったマンションに入居を決めた。

結果的に、この場所は日本人が多く暮らす地域から離れていたこともあり、いわゆる「日本人会」やら「婦人会」と言った煩わしいコミュニティーに巻き込まれることは免れた。

しかし、私は全く異なる形で「駐在妻生活」に溺れて行くことになる。

現地での友達探しに浪費した多大な時間

私のビザでは就労不可だったので仕事は出来なかったのだが、当時の私はそもそも働くつもりも無かった。

日本未上陸の最先端のスイーツショップやお洒落なカフェなど、魅力的なスポットが溢れるLA。

行きたい場所が多過ぎて、毎日遊び歩いても時間が足りないくらいだった。

必要なのは一緒に遊べる友達だった。

当時の現地の友達探しの手段と言えば、英語教室に通うか、習い事か、コミュニティサイトで友達を募集するしかなかった。

初めは無料の英語学校に通ってみたが、日本人は全くおらず、気が合いそうな友達も出来なかったので、学校に通うのをやめてしまった。

結局コミュニティサイトから日本人の友達を募るようになり、気の合いそうな人を見つけては会ってみる、というのを繰り返してみたが、中々気の合う人に出会えなかった。

中には、初対面の私に、いきなり夫との性生活の悩みを相談してくる40代の女性などもいたりし、一言にLA駐在妻と言っても色々な人種がいるのだと知った。

そんな中、ようやく普通に話せる人達に出会うことが出来た。

当初26歳だった私よりも一回り年上の、36歳のお姉様二人組だった。

セレブ駐在妻達の「華麗なるダークな集まり」への仲間入り

セレブ駐在妻達の「お友達候補の面接」

このお姉様二人組は子供はおらず、揃いも揃って長身かつ容姿端麗、また、それぞれのご主人は事務所経営と大企業の御曹司と、セレブに分類される妻達だった。

そんな彼女達は、一回りも年下の小娘の私と初めて会った時、

「やっとまともな子に会えた!」

と喜んだ。

なんでも彼女達は長らくLAで友達を探していたものの、「化粧しない」「服のセンスが悪い」「変人」などの理由で、会う人を次々と「不採用」にしていたのだそうだ。

次第にこの「お友達候補の面接」自体が彼女達の趣味になり始め、気に入らない人に会っては、その後の「反省会」でメタクタにこき下ろすのが最近の楽しみらしかった。

もしここで私が彼女達に気に入られなければ、私がその「反省会」とやらでこき下ろされていたのだろう。。

「華麗なるセレブ駐在妻達の遊び」にのめり込む

運良く彼女達に「採用」された私は、ほぼ毎日、話題のお店でのお茶会やディナーに誘ってもらえるようになった。

大酒飲みの彼女達は昼間からワインを煽るので、それをワリカンにされた時には予算を大きくオーバーしてしまい、夫に頭を下げることもしばしばあった。

しかし、LAで話題のスポットを知り尽くした彼女達に付いて回るのは楽しく、誘われれば喜んで出かけて行った。

会話の内容の大半は、浮気をしているお姉様の悩み相談や、お姉様達が一緒に習い事をしている他のLAの駐在妻達の悪口だったが、私は会ったこともない人達だったので、面白おかしく聞いていた。

しばしば夫達も呼んでディナーをしたり、お互いの家で食事会を開催することもあり、夫同士も仲良くなった。

ハロウィンには仮装してサンタモニカへ繰り出し、冬には夫も一緒に3家族でスキーにも出かけた。

一時は履歴書に穴が空くことを懸念して無給のインターンで働くことも考えていたが、お姉様達との「セレブ妻遊び」が楽し過ぎて、折角面接に受かったのに断ってしまった。

徐々に暴かれていく「華麗なるセレブ駐在妻」の実態

そんなある日、彼女達に誘われ、彼女達が毎回酷い噂をしていた料理教室に、私も誘われて行ってみることになった。

そこまで酷い駐在妻達とは一体どんな変な人達なのだろうと、興味半分で行ってみた私だったが、料理教室に集まっていた生徒達は、いたって普通の日本人妻達だった。

確かに化粧っ気は無いし、お洒落な洋服を着ていた訳ではなかったが、皆「良いお母さん」という感じで、話した感じも良い人達だった。

むしろ料理教室にエミリオプッチのワンピースを着ていくお姉様の方が場違いのように思えた。

そうして少し冷静になってみると、このいたって普通の日本人妻達を裏であそこまで酷くこき下ろしておきながら、教室の間は愛想良く振る舞うお姉様方が恐ろしくなってきてしまった。

料理教室の後は、側にある高級ホテルのバーで「反省会」が開催され、また料理教室の生徒の悪口大会である。

「今日のアイツの服、ヤバくね?」「あの喋り方イライラする。」などとこき下ろし始めるので、実際に生徒さん達を見てしまった私は、段々とこの「反省会」のヤバさに気付き、居心地が悪くなって来たのだった。

バリバリ働く人や勉強に励む人すらネタになる「ブラック茶会」

ブラック茶会のネタのターゲットのされたのは、料理教室の生徒さんだけではない。

ある日、このセレブ姉様達と友達になりたいと言って来た人がいるということで、その人を茶会に迎えることになった。

するとそこに現れたのは、ツバの広い優雅な帽子を被った30代の上品な人だった。

彼女はとても真面目な人で、この茶会の後はUCLA Extentsion(カリフォルニア大学の学位無しの授業)の語学プログラムに通うのだと話し、授業があるからと、茶会の途中で抜けて行った。

真面目であまり冗談が通じないタイプだった彼女が気に入らなかったらしい姉様達は、彼女を「仲間」ではなく「ネタ」と認識したらしく、彼女が帰った後は「クソ真面目過ぎ」「あの帽子ww」と言って笑っていた。

また、私達夫婦が住んでいたのと同じアパートに、現地でバリバリ仕事をこなす女性弁護士さんが住んでいたことが分かり、知り合うと同時に仲良くなった。

その男顔負けの輝かしい学歴が示す通り、とても聡明な人で、私ではたまに話に付いていけないこともあった。

彼女も美しい人で、来ている服のブランドの趣味も同程度のレベルだったので、気が合うだろうと思った私は、姉様方に彼女を紹介してみた。

すると、女性弁護士さんの頭の良い話に付いていけない姉様達は完全に押し黙ってしまった。

彼女が帰った後、感想を聞いてみると、「何言ってるんだかサッパリ分かんない。」「あの人空気読めない。」「マジ無理ww」とのことだったので、あまり合わなかったらしい。

低レベルで希薄な人間関係の崩壊

ブログ繋がりで出来た素敵な友達

一方、現地で訪れたお洒落な店などを紹介するブログを書いていた所、いつの間にかランキングが上がり、ブログランキング上位の人達とブログ仲間になった。

そこで取り分け仲良くなったのは、大手企業の支社長の夫人の元ネイリストさんだった。

彼女はとても美しく、歳は私と5つくらいしか離れていないのに、知的で大人でエレガントで、「あんな30代なら早くなりたい」と思えるような人だった。

本来なら現地の「婦人会」の頂点に立つような立場の人だったが、「そういうの苦手だから」と、わざわざ会社の他の駐在妻達が集まるエリアから離れ、私達の近所のアパートに住んでいたようだった。

密かに実行されたセレブ駐在妻達による「友達横取り計画」

他の友達が出来始めると、セレブ姉様達のお誘いを断る日もしばしば出てくる。

私が外部に友達を作り始めたことを察知した彼女達は、元ネイリストさんの話を聞くや否や、「私達も会いたい」と言って来た。

断り切れず、私は家で食事会を開き、セレブ姉様達と、元ネイリストさんを引き合わせた。

姉様達の、この元ネイリストさんへの食い付きは半端無かった。

その食事会からしばらく経ったある日、私が再び元ネイリストさんとランチをした時、彼女から衝撃的な話を聞いた。

「あの食事会の後、紹介してもらった二人からディナーに行かないかとお誘いがあったのよ。私はLuiちゃんが行かないのはおかしいと思って断ったけど。」

ブラック茶会での悪口へのコメントのキレ味が悪くなって来た私は、姉様達にはつまらない存在になって来たのだろう。

姉様達は私の代わりに、もっとセレブで一緒にいて映える元ネイリストさんをブラック茶会に招き入れようとしていたのだった。

狭い世界の低レベルな人間関係への疲弊

毎日の話のネタと言えば、どこそこに話題に店が出来たとか、これまで出会って来た人達の悪口、あるいは夫の悪口。

働いていたり、勉強している人達を「真面目過ぎw」と言って笑い者にする…

そんな会話に罪悪感を覚え始めた私は、段々と姉様達から心が離れていたことは確かだった。

しかし、それでも一年近く仲良くして来た大事な友達である事は変わらなかった。

だが、姉様達には全くそんな感情は無かったらしい。

彼女達は完全に私に興味を失ったのか、久しぶりに行った料理教室では徹底的に私を無視し、その後の「反省会」へももちろん声がけもせず、後片付けをする私を置いてサッサと去って行った。

いつも私達が一緒だったのを知っていた他の駐在妻達や先生は、心配して「何かあったの?」と聞いて来た。

とても惨めだった。

何と脆く、くだらない人間関係だったのだろう…

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夫に付いて海外に行く際に大切なこと

視野を広く保ち続けることの大切さ

専業主婦同士で集まってしまうと、日々の会話は、自分達の周りの人間の噂話や子供の話、近所に話題の店が出来たなど、狭い世界に興味の範囲が限定されて行ってしまう。

もちろん、それで良いという人達も多いので、否定するつもりは全く無い。

しかし、私の場合、視野が狭くなっていくことで、いずれ夫との会話が無くなるリスクがある

私は夫と、アホな会話はもちろん、Uberは巻き返せるのかとか、イーロンマスクは何を考えているのかとか、仮想通貨を買うならどれが良いかなど、実に色々な話をする。

私が専業主婦だった頃は、そんな話は全く興味も無かったし、働いている男がする話だと思っていた。

しかし、夫が私に魅力を感じてくれた部分は、時には恋人として、時には友人として、互いの仕事に関するアドバイスもできる関係性を構築できる点だ。

こうした時事ニュースや知識は、社会の第一線から退けば、いつしか興味を失い、積極的に得ようとは思わなくなってしまうものである。

そして、やがては夫と話が合わなくなり、夫との会話が無くなってしまうだろう。

「茶飲み友達」だけではなく、ライフワークを持つことの大切さ

私がくだらない人間関係の構築に無駄な労力を費やしていた頃、私達がブラック茶会でネタにしていた、UCLA Extensionに通っていた彼女は、今では某世界的有名企業のシニアマネージャーとしてバリバリ活躍している。

この一連の人間関係のイザコザから私が学んだことは、女という生き物は、その置かれる環境によって、どうしようもないバカにも、論理的で知的な人間にも成りうるということである。

学校や職場でも本当に気の合う友達は一人、二人しか見つからないのに、ピンポイントで友達を探したり、数名しか集まらないような習い事で末長く付き合える友達を探すのはとても難易度の高いことだと思う。

見つけられたとしても、あまり良い友達では無かった場合は、私のように気づかないうちにどんどん会話のレベルが下がって行ってしまい、しまいには小学生レベルまで退行してしまう恐れもある。

もちろん、主婦同士の情報ネットワークというものは目を見張るものがあるので、大事なネットワークの一つであること自体は否定しない。

大切なのは、そこだけに自分のコミュニティを限定しないことだ。

自分で付き合う友達を選べるくらい、多くの人と出会い、共同作業をする場を見つけることが大切だと思う。

そうしてそれぞれが独自のライフワークを持っておけば、駐在妻同士の集まりも、人の噂以外に話のネタが沢山できることだろう。

間違っても「群れること」がライフワークになってしまわないことだ。

自分の収入を確保することの大切さ

これは異国の地に限らず、日本の結婚生活に置いても大切なことだと思うが、自分の収入があるのと無いのとでは、精神的な安定感が全然違う。

いくら夫が「二人のお金だよ」と言ってくれても、「夫が稼いだ金」と「自分で稼いだ金」は全然別物なのだ。

かなりドライな言い方になってしまうが、どんなに愛し合っているカップルだったとしても、「愛」には消えない保証もなければ、消えた時の補償も無い

離婚すれば確かに財産分与という制度もあるが、仮にも一時は愛し合った相手と、金の奪い合いのような醜い終わり方は、誰もしたくないだろう。

まあそんなことまで考える必要はないが、「いざとなったら自分自身で自分を食べさせて行くことができる」という状態が心のゆとりになり、精神安定をもたらしてくれることには間違い無い。

今はクラウドソーシングなど、リモートでも収入を得られる手段はいくらでもある時代である。

現職を辞めて夫に付いて行くことになった時、新たに収入を得られる手段を準備するのとしないのとでは、その後の自分の精神衛生が違ってくるだろう。

 

私の場合は「コミュニティ形成」の目的も兼ね、現地で仕事を探すのが一番だと思っているが、就職難のイタリアでは中々簡単なことではないだろう。

それでも、ぼーっと夫におんぶに抱っこで付いて行き、LAで駐在していた時のようなことは二度と繰り返さないようにしたい。

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